上野国 こうずけのくに
5月16日、稲村山の登山口から前橋方面へ…
早朝の上野国分寺跡。ハルジオンが咲いています。その奥の築地塀は発掘調査後に再建されたもの。そこに穴を開けて小鳥たちが巣にしています。だからちょっと年代物に見えます。基壇が残るだけの空き地。ここには高さ約60mの七重塔が聳えていたといいます…
宝塔山古墳は3段に築かれた方墳。しっかりした石室には無造作に石棺が置かれています。動かせる代物じゃないか。次は二子山古墳。長さ91mの前方後円墳。前方部と後円部に形態の違う石室をそれぞれもっています…
そして総社神社へ。社殿の裏手でこんなケヤキを見つけました。九州のクスノキの巨木もすごかったけど、ケヤキもこんな姿になるんですねぇ。総社は国府のそばに国内の有力な神様をまとめて祀ったもの。その数500柱余り。備中の総社宮も訪ねたことがあるのですが、そちらは324柱。東国の雄もなかなかのものです。国司は赴任地で有力な神社を参詣して回ります。そういうことが重要な仕事でした。でも何百社ともなると大変。それで総社が建てられました。それまでは各地の神社を巡ったわけですが、そこで順番が問題になります。上野国は一宮から九宮まで分かっている唯一の国。これが参詣順と関わりがありそうなのですが、そんな文書は残っていないようです…
渋川へ移動。早尾神社の大ケヤキを見ます…
推定樹齢600年。幹周り7.3mの立派な木です…
下郷の大クワを見て、尾瀬の登山口の富士見下へ…
2010年の撮影です。中国の『山海経』に東の果てに毛むくじゃらの人々が住む国があると書かれています。その国を支配していると大和朝廷は主張して、東国の一部を毛の国と呼ぶようになります。その国は上つ毛、下つ毛に分かれ、上つ毛野、下つ毛野とも呼ばれるようになります。表記は上野、下野となり、カミツケはコウズケ変化します。蝦夷(えみし)を毛人と書くのも関係があるのかもしれません…